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  • 2017年02月06日《校長コラム》2月6日

     昨日は「日本26聖人」の記念日でした。1597年2月5日,今から420年前,豊臣秀吉の命令によって長崎の西坂の丘で磔の刑に処されて,尊い命を捧げた26人のカトリック信者の揺るぎない信仰を称える日です。

     5年生の皆さんは,3月の研修旅行の一端としてこの西坂の丘に立つことになります。この26人のうち,日本人は20名,スペイン人が4名,メキシコ人,ポルトガル人がそれぞれ1名で26人すべて男性でした。

     最年少のルドビコ茨木は12歳でした。中1の皆さんと同じ年ですね。当時の長崎奉行 寺沢半三郎は,あどけないこの少年のことを哀れに思って,「キリシタンの教えを棄てれば,お前の命を助けてやる」とルドビコに持ちかけましたが,ルドビコは「この世のつかの間の命と,天国の永遠の命とを取り替えることはできません。」と言って毅然として奉行の申し入れを断っています。

     トマス小崎は14歳で,伊勢の人といわれています。父ミゲル小崎と共に殉教しています。トマス小崎が安芸(あき:現在の広島)の三原城の牢屋から母に宛てた手紙が残っています。
    抜粋を読んでみますと,
    「神の御助けにより・・・わたしのこと,父上ミゲルのこと,ご心配くださいませんように。パライソ(天国)ですぐにお会いしましょう。お待ちしております。・・・イエズス・キリストの幾多の恩恵を感謝なされば,救われます。この世ははかないものですから,パライソの全き幸福を失わぬよう努力なさいますように・・・わたしのふたりの弟マンシオとフエリペをどうか異教徒の手に渡さぬようご尽力ください。私は母上のことをわれらの主にお願いいたしましょう。」         安芸の国 三原にて
    中3の皆さんと同じ年の弟思いの優しい少年です。

     中2の皆さんと同じ年の長崎の聖アントニオは13歳でした。西坂の丘で涙を流して出迎えた両親に,微笑みながら「泣かないでください。私はパライソ(天国)に行くのですから」と慰めたと言われています。そして隣にいるペトロ・バプチスタ神父に「神父様,歌いましょう」と賛美歌を歌う中を槍で刺され殉教しています。
     26人の中にはこの3人のように将来のある若い少年たちも含まれていたのです。

     1597年1月10日に「長崎で処刑せよ」という命令が下された後,京都では左の耳たぶを切り落とされ,厳しい冬の寒さの中を,薄い着物で引き回され,長崎への遠い道のりを歩き通し,やっとの思いで2月4日に到着しています。そして2月5日の朝ひどい霜の中,3里(約12㎞)の浦上街道を歩き,午前10時頃西坂の丘に到着します。
     当日長崎では混乱を避けるために外出禁止令が出されていましたが,4000人を超える群衆が西坂の丘に集まっていました。パウロ三木は死を前にして十字架に架けられたまま,4000人の群衆に向かって真の信仰,正しい生き方について諭したのです。26人は十字架に架けられ,槍で両脇を突かれ殉教していきました。

     26聖人のその信仰の種は,日本の人々の心に今も届いていて,人間として真実の生き方を問い続けてくださっているのです。

     5年生の皆さん,西坂の丘に立つ時,26人が生命をかけて大切にしていたものが何だったのか,心の眼差しで見つめ,心のレベルで味わってきてください。