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  • 2018年04月19日2018年4月19日の朝の祈り

    皆さん、こんにちは。セントヨゼフ女子学園学園会です。
    今週土曜日、バスケットボール部の皆さんが、一足早く高校総体に出場されます。壮行会よりも少し早いため、今から放送で応援のメッセージをバスケットボール部の皆さんに送りたいと思います。まずは生徒を代表して学園会役員からです。

    バスケットボール部の皆さん、毎日部活お疲れ様です。限られた時間の中で、放課後に限らず朝や休日にも練習する中で、仲間との衝突もあったことでしょう。しかし、それ以上に得られたものもたくさんあることと思います。高校総体では普段の練習の成果を最大限に発揮でき、何より仲間を信頼するプレーができますよう、生徒一同、応援しています。頑張ってください!!

    次に、井関智子校長先生よりメッセージをいただいています。

    「バスケットボール部のみなさんへ
     インターハイ予選を勝ち抜くために、エールを送ります!!
     これまで積み上げてきた練習と仲間を信じてボールをつなぎ、1本でも多くのシュートを決めてください。
     応援しています。がんばれ!!」
       校長 井関智子

    最後に、バスケットボール部の顧問である高橋一輝先生からメッセージをいただいています。

    「バスケットボール部の皆さん、いよいよ日曜日から高校総体予選が始まりますね。
     6年生にとっては最後の大会になります。1年前、先生がバスケットボール部を見ることになってからあっという間に時間が過ぎ、この大会を終え6年生が引退することを考えると、寂しい気持ちにもなります。この1年間、ひたむきに、がむしゃらに練習し、様々なチームと練習試合や公式戦を行い、今まで勝てなかった相手に勝てるようになったり、少し前までは強い相手と対戦しスコアが開き始めると試合中にも関わらず弱気になっていたのが、今ではどんな相手でも、どんな状況でも攻め続け、絶対に守ってやろうといった強い気持ちも持つようになりましたね。毎日、毎試合成長する姿を見て、先生自身もバスケットを教える楽しさ、勝った時の嬉しさ、負ける悔しさをみんなから教えてもらいました。
     よく練習の時に先生が言いますが、頑張ることは当たり前で、頑張ることが最低ラインです。
     6年生は今までの思い、練習の成果を全て試合で出し、後輩たちに思いを受け継ぐような姿を試合の中で見せてください。5年生以下のみんなはその姿を目に焼き付け、6年生に1試合でも多く試合をしてもらえるように、全力で試合に臨んでください。
     その中で最後のブザーが鳴るまで、1分、1秒たりとも諦めることなく、コートにいる仲間、ベンチから声をかけてくれる仲間、応援席から応援してくれて毎日支えてくれている保護者の皆さん、先生方、そしてこのような時間をつくっていただいた学園会、学校の先生方にも感謝の気持ちをもって、挑戦者らしくがむしゃらに、応援に恥じないプレーをしましょう。
     最後に笑って喜んでいる姿が見られると信じています。絶対勝とう!!!」
      バスケットボール部 顧問  高橋 一輝


    バスケットボール部の皆さん、これらの応援を心に留め、全力を尽くして頑張ってきてください。その他の中学、高校総体に参加される他のクラブの皆さんも、自分が今までやってきたことを信じ、セントヨゼフの代表として頑張ってください!学園全体で応援しています。バスケットボール部の皆さん、また他のクラブの皆さんも高校総体で練習の成果を発揮できますように主の祈りを唱えましょう。

  • 2018年04月16日2018年4月16日朝の祈り

     始業式から1週間がたちましたが、1年生の皆さんは学園生活に少しずつ慣れて、制服がずいぶんなじんできましたね。
    先週の木曜日、12日には全校生の健康診断が一斉に行われました。1年をスタートするにあたり、まず、自分の健康状態を把握することは大切なことです。
    さて、1年生はもちろん他の学年でも授業が始まり、新しいクラス、新しい担任の先生、新しい教科の先生と緊張が続いていませんか?緊張が続いた時は、教室の窓から空を見上げたり、天気や季節、自然を感じたりするとリラックスできます。保健室の窓からは、ハナミズキが満開に咲いているのが見えますし、理科棟の屋上には藤の花が咲いてきました。普段忙しくてなかなか、近くで咲いている花の香りや、天気の良さ、吹いてくる風の心地よさを意識することなないでしょう。でもこういうものにちょっと意識を向けると、リラックスできます。リラックスすると自律神経のバランスが整い、「よし、また頑張ろう」と元気が出てきます。勉強や仕事につかれた時、ぜひ、空を見上げて自然を感じてみてください。
     今日からまた、新しい1週間が始まります。元気で過ごせますように主の祈りを唱えましょう。

  • 2018年04月14日2018年4月14日朝の祈り

    おはようございます。
     4月1日にキリスト教会は「復活祭」を迎えました。復活とは、決して一度死んだ人が息を吹き返すことではありません。「新しいいのち」への復活です。 復活祭を迎え、教会の暦は復活節といって50日間祝われます。この季節は、いろいろのことが「新しいいのち」を感じさせてくれる時期です。復活節は、入学、入社、転勤など、新しい旅に出発する時期で喜びに満ちあふれています。しかし、「新しいいのち」と言われてもピンとこないものがあるかと思います。それで、今日は「復活」のお話しをしたいと思います。
     ヨハネ20章1節から9節に「復活」の箇所が次のように書かれています。
    していなかったのである。
     マグダラのマリア、ペトロとそのもう一人の弟子は、空っぽになった墓を見て、イエス・キリストの復活を信じることができませんでした。聖霊が下って、弟子達やイエスを取り巻く人々が復活を信じることができるようになります。
    週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解 今、読みましたヨハネの福音書の中に、「墓から石がとりのけてあるのを見た」とあります。「石」とはどういうことでしょうか?復活祭とは「石」が取り除かれる状態を表します。「石」とは具体的には、わだかまり、嫉妬、争い、ねたみ、憎しみといったものです。こういったものが、私の中にくすぶり続けて「石」のようになっている。それを神さまがとりのけて下さった、というのが復活なのです。
    もう一つの例をお話しします。森の中に鳥が巣を作っているのをみなさんは、テレビで見たことがありますか?親鳥は卵を温め、ある日、巣の下に空っぽの卵の殻が落ちているとしたら、あなたは何が起きたと想像しますか?そうです。卵から雛がかえったのです。空の卵を見て、新しい命に変わったことに気づくのです。空っぽの墓から、なかなか復活を信じられない弟子達の姿が聖書に何回も描かれています。イエス・キリストが生きているときに、ずっとつき従っていた弟子達なのに復活したイエス・キリストがわからないのです。まずは、ゆっくりと静かに自分の心のとらわれと向き合うことです。私たちの心の中にもあるとらわれや傷、しこりを神さまにゆだね、とりのけていただきましょう。とりのけてくだったことが「復活」というのでしょう。

  • 2018年04月13日2018年4月13日朝の祈り

     私が大学で研究をしていた時、素敵だなと思う考えに出会いました。研究をするのですから、自分で成果を出したいとか、謎を解明したいと思うのは当然です。その一方で研究者は、ある分野の研究において、先学=先に研究した方が進めた研究を受け継ぎ、今度は自分でその研究を発展させ、次世代がさらにその研究を先に進めてくれることを願うというのです。自分だけで結果を出そうとするのではなく、受け継いで引き継ぐ。なんてスケールの大きい、つながりの感じられる考え方でしょうか。その時私は、時代も場所も異なる研究者と、会ったこともない研究者とつながっている感覚に包まれ、暖かい気持ちになりました。1人ではない、そう実感できた瞬間でした。私たちは、世界という空間の広がりや、過去や未来という時間の広がりの中で、つながっているのです。
     私たちは、まずご先祖様や両親からつながっています。そして子孫につないでいきます。そうした血のつながりも重要です。この血のつながりの次に、皆さんは将来、何を受け継ぎ、次世代に何を引き継いでいきますか?それが皆さんの才能=タラントンであり、将来なすべき使命=ミッションだと思います。
    Making Tomorrow Together ~繋げる~ 今年の学園目標を心に留め、主の祈りを唱えましょう。

  • 2018年03月16日2018年3月16日朝の祈り

    先日、著名な宇宙物理学者であるホーキング博士が76歳で亡くなりました。
    博士は、21歳の時に、体の筋肉が動きにくくなる筋萎縮性側索硬化症、いわゆるALSという難病と診断されました。当初は余命2年と診断されたそうです。それでも博士は研究を諦めず、何も抜け出せないとされていたブラックホールから、量子効果によって粒子が逃げ出すホーキング放射という理論を提唱しました。博士は30代で車椅子生活、40代で声を失うと人工音声で会話しました。それでも最後まで博士の宇宙への探求心は衰えることがありませんでした。自分がいつ死ぬか分からないからこそ、一日一日を大事に、研究に打ち込んで来られたのでしょう。
     私たちはどうでしょう。まだまだ先がある、と思って時間を無駄に過ごしていませんか。兼好法師は『徒然草』の中で「目の前のどうでもいいことに追われて無為に日々を送っていると、坂道を転げ落ちるように何事を為すこともなく年老いてしまう。」と言っています。私たちの命には限りがあります。まだまだ先があると思っていると、いつの間にか時は過ぎ去り何事も為すことなく人生を終えてしまいます。限りある命だからこそ、自分の夢や目標に向かって精一杯突き進んでほしいと思います。ただ、みなさんに夢や目標がはっきりあるわけではないでしょう。まだ目標や夢がないという人は、自分のやるべきことを第一にできているかを考えてみましょう。
     もう少しで今年度も終わります。どんな一年でしたか?目標ややるべきことに向かって進むことができましたか?それとも無駄に時間を過ごしてしまいましたか?これまで時間を無駄にしないようにという話をして来ましたが、一番時間を無駄にしない方法は、時間を忘れて何かに打ち込むことだと思います。時を忘れ自分の好きなことに没頭している時、それは一番充実した時、幸せな時ではないでしょうか。その好きなことが世の中の役に立つことであればさらに幸せを感じるでしょうし、それはみなさんが将来進むべき道なのだと思います。ホーキング博士にとってそれは宇宙物理学だったのですね。みなさんも時間を忘れて没頭できることを見つけ、夢や目標としてください。
    「時は金なり」と言います。自分の時を意味あるものにできるのは自分だけです。3月19日のヨゼフの日を前に、今年度の自分を振り返り、今からの行動に生かして行けるよう、主の祈りを唱えましょう。

  • 2018年03月12日2018年3月12日の朝の祈り

     昨日3月11日は「3.11」といわれ,東日本大震災から早7年の月日が流れています。あの頃小学生になったばかりの人は,もう中学生ですし,中学生だった人は,大学生になっています。しかし,愛する大切な方をなくされたご家族にとっては,この7年というときはながれていても,なかなか受けとめがたいものがあり,心の傷はそう簡単には癒されるものではないでしょう。物質的な復興は目に見える形で確認できますが,心の傷はうまく言葉に表現できないまま,ずっとその方の心を占めているのではないでしょうか。

     「3.11」の記念日にあたり,私たちにもできることはあるのです。
    お会いしたこともありませんし,お名前すら知らないたくさんの残された人々の心に,安らぎと希望の種が蒔かれますよう,心を込めて祈りましょう!どんなに遠く離れていても,祈りは時空を超えて届きます。些細なことのように見えても,祈りの力は人間の力を超えたことを実現することができます。私たちにできることは,「祈り続けていく」ことです。

     「3.11」がもたらしたことのうち,とても大切な全世界へのメッセージがあります。それは私たちが大切だと思い込んでしがみついていた価値までも,あの大洪水で押し流されたということです。
    その価値とは,わたしたちの心を占めている,「大きいことはいいことです。」「たくさんなことがいいことです。」「速いのはいいことです。」という「ものさし」です。もともとチョコレート会社のコマーシャルで使われた「大きいことは,いいことだ!」というキャッチフレーズから流行し,定着してしまった言葉です。
     そして,その逆の「小さいもの」「少数のもの」「ゆっくりなもの」を排斥してしまう傾向が,日常生活の中まで浸透することになってしまったのです。しかし「3.11」は今まで私たちが依存していた,「大きいこと」「多いこと」「速いこと」まで押し流してくれたように思います。「大きなお家に住み,たくさんの物を持ち,何でも思いどおりにスピーディーに動かせる」と思い込んでいた私たち人間のおごりを押し流してくれたのです。

     更地(さらち)になった今,人間にとって本当に大切なことは一体何なのかを問われています。「小さなもの」「少ないもの」「ゆっくりなもの」の中にも,私たちを育んでくれる心の栄養がたくさん含まれているようです。私たちは今,思い込みや固定観念を一度手放して,本物をじっくり見る機会に招かれているのです。そのご招待を受けるかどうかは,私たち一人一人にかかっています。皆さんのような新鮮で活き活きした感性をいただいているうちに,本物探しを試みていくことはとても大切だと思います。皆さんには感じて動く,心を動かす,感動する感性が豊かに与えられているのです。それを使わないうちに干からびることのないように” Sense of Wonder “,感性を活かしていきましょう。「3.11」には従来のものを違ったアスペクトから見直す感性を目覚めさせる問いかけが秘められているようです。

  • 2018年03月05日2018年3月5日朝の祈り

     今朝は2月16日の朝の祈りでお話された、オムレツの作り方に探究心を燃やしている先生の話の内容を思い出しながら、聞いてください。冬季平昌オリンピックのお話です。日本が獲得したメダルの数は、過去最多の13個で、予想の数を上回るすばらしい結果でした。メダル獲得の裏には、並々ならぬ努力があったことは言うまでもありません。様々な選手の活躍があった中、スピードスケート女子500メートルで36秒94の五輪新記録をマークし、みごと金メダルを獲得した「小平奈緒選手」のことが私の心には残っています。スピードスケートで金メダルを獲得した日本選手は、1998年長野オリンピックにおいて、男子500メートルで活躍した清水広保選手でした。今回の小平選手の金メダルは、それ以来のことで、女子では初めてのことでもありました。小平選手は、長野オリンピックのとき、小学5年生でした。このとき彼女の心に焼き付いたのが、金メダルを獲得した清水選手の滑りでした。地元の人々が涙を流したり、笑顔で喜んだりしている様子を見て、「私も人々の心を動かせる選手になりたい」と、はっきりとしたビジョン(展望)が見えたそうです。地元に専門的な指導者がいないなか、探求心に火が付き、清水選手のレースをビデオに撮り何度も見直したそうです。何とそのビデオテープは中学時代に擦り切れて見られなくなってしまうほどでした。そして、遠心力に負けずに重心を前に運ぶ技術を研究しました。また、夏は自転車練習。縁を伝って古武術を習い、無駄な力を使わずに体を動かす方法を身に付けました。学んできたこと、実行してきたこと全てが力になったようです。そんな彼女が、金メダルよりも楽しみにしていたことが、「ゴール後の景色」です。きっと、会場全体が喜びで沸き返るその瞬間を想像したのでしょう。しかし、彼女のコメントは、「涙でかすんで見えなかった」という言葉でした。私は、日の丸を手に、目に涙を浮かべ、ガッツポーズをする小平選手の姿がとても印象に残っています。小学5年生のときから、清水選手の滑りに憧れ、探求心を持って研究し続けた彼女の生き方をみんなさんに紹介し、みなさんにも、探求心を持って研究する何かを見つけてほしいと強く思いました。今年度も、あと二週間余りとなりました。この一年を振り返り、次年度の準備がしっかりと行えますように、主の祈りを唱えましょう。

  • 2018年03月03日2018年3月3日朝の祈り

    今朝は,「私たちは日本のことを知っているか」について考えてみましょう。
     今日3月3日はひな祭り,桃の節句です。昔,中国ではこの日に川で身を清める習慣がありました。それが平安時代に日本に伝わり,紙や藁で作った素朴な人形に自分の災難を移して川に流す「流し雛」の習慣になりました。そして貴族階級の間で始まった「ひいな遊び」と言われる人形遊びと「流し雛」が合わさって「雛祭り」の原型となり,これが江戸時代に庶民に広まって,女の子のお祝いの儀式として定着したと言われています。
    「桃」の節句と呼ばれるようになったのは,旧暦の3月3日(今の4月中旬)の頃に桃の花が咲くことや,桃は魔除けの効果を持つとされてきたからと言われています。雛人形を飾り,災いがふりかからないように,また,美しく成長して幸せな人生を送ることができるようにと,女の子のすこやかな成長を願う行事へと変化してきました。
    外国の方が日本の行事に興味を持ち,その意味を聞かれたときに,あなたならどう答えますか。
    この他にも,私たち日本人が当たり前のように行っている事の,今に至るまでの背景を,実は私たちはよく知らずに過ごしていることが多いのではないでしょうか。それを知っていることが普段の生活の中では必要ないことかもしれませんが,楽しいことなら意味も分からずにやることに違和感はありませんか。
    些細な事でも,なぜそうのかを知りたいと興味を持って調べてみる姿勢は,皆さんが勉強をするときにも役に立つと思います。

    今日は皆さんのすこやかな成長を願って,主の祈りを唱えましょう。

  • 2018年02月16日2018年2月16日の朝の祈り

    皆さんは5W1Hを知っていますか?
    when,where,who,what,why,howの6つです。
    この中で私は断然”why”が大事だと考えています。
    大学院での研究は”why”の重要性についてでした。“why”という、たった一言について数万字の論文を書きました。それくらい”why”を考えることは可能性を秘めていて、奥深く、楽しいことだと思っています。
     話は変わりますが、私は最近、夜にオムレツを作り続けています。オムレツは焦げ目がなく、外見はふわふわで中は半熟、見て、食べて幸せになれます。作り始めたのきっかけは、ホテルの朝食のようなオムレツが作れたらかっこいいなと思ったからです。ここでも僕は”why”を考えます。
    焦げ付いたのはなぜか。半熟でなくなったのはなぜか。うまく返せなかったのはなぜか。油の引きが甘かったのか。フライパンを熱しすぎたのか。では、適温はどの程度なのか。
    「なぜかなのか」”why”を考えると脳はこれまで、持っている知識をフル回転で活用し、原因を追求しようとします。考えられる原因を一つずつ考えて解決へ向かっていく、ここ最近の小さな楽しみです。これが皆さんにも求められている力ではないかと思います。
    皆さんなら、「なぜお金に関する漢字には貝へんが多いのか」「なぜ衆議院には優越が認められているのか」自分で解を探す、それが勉強であり研究です。”why”「なぜ?」と考えることにより、自分の理解を確認して一歩先へ進むことができるのだと考えています。試験勉強中に、事象について「なぜ?」と自問し、それに答えられたら、その内容がしっかり頭に入っている証拠ですね。ぜひ”why”を考えてみてください。きっと試験勉強にも役立つことと思います。
     今日こそは、ふわふわのオムレツが作れますように、そして皆さんが深い学びができますように主の祈りを唱えましょう。

  • 2018年02月08日2018年2月8日の朝の祈り

     今朝は、2月3日に全世界で記念される福者、高山右近殉教者についてのお話しをします。昨年2月7日にユスト高山右近列福式ミサがあり、教皇フランシスコにより、高山右近は聖人の前の福者の段階にあげられました。
     ヨハネ福音書 12 章に「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」というイエスのことばは、まさに高山右近の中で実現しています。
     高山右近は織田信長、豊臣秀吉に仕えた戦国大名でした。財産もたくさん持っていたにも関わらず、キリスト教宣教師を保護し、その活動を助けました。右近は、キリストの教えを広めることを望み、日本人の宣教師を育てるため、安土、高槻、大阪にセミナリオ(神父様を育てる神学校)を建てました。領内のキリスト者は多くなり、1583 年には3万人の領民のうち2万5千人に達し、人口の大半を占めるほどだったといわれます。また領地が明石に変わったとき、福音宣教活動を広げ、1585 年から 1587 年までに、千人以上が洗礼を受けたといわれています。このことから、右近がどれほど周りの人々に影響を与えたかがよくわかります。
    高山右近はイエス・キリストの愛のことば、いつくしみの心にひかれていました。彼は、その確信により、日本の福音宣教に対する不屈の推進者になりました。ほまれ高く誠実な人として成長した右近は、真のキリストの武士でした。刀ではなく、ことばとわざによる武士でした。
    それをよく表すこととして、右近は、家来たちととともにいつくしみを示し、貧しい人びとを助け、困り果てた武士たちを援助するためにミゼリコルディアの組をつくりました。病人を見舞い、寛大に施しをしました。また、父ダリオとともに、家族のない死者の柩を担ぎ、墓に葬りました。それらすべては人びとを驚かせ、それにならいたいとの望みを呼び起こしたのです。
     これほどイエス・キリストへの信頼は、右近の心にしっかりと根を下ろしていたのです。右近はその特権的な地位を失い、生活の貧しさが増し、打ち捨てられ、隠れた境遇になっても気落ちするどころか、信仰により平静を保つことができました。
     徳川家康が発令した「キリシタン禁教令」により国外追放となり、フィリピンのマニラに行きました。神さまが自分に望んでおられるのは血を流す殉教ではなく、「追放の苦しみによる殉教」 だったことを予感していました。殉教は十字架刑にかけられることだけでなく、流罪にあって、その地でいのちを終えた人も殉教者であると説明しています。
     高山右近の生き方は、現代における私たちに何を教えてくれているのでしょうか。
     右近は、人間の価値は才能や知識、能率、効率、業績によるのではなく、無条件に神から愛されていることをイエス・キリストが伝えた福音から学び取っていたのです。
     それでは、右近のとりつぎを願って「主の祈り」を唱えましょう。