2012年12月14日2012年12月14日の朝の祈り
クリスマスページェントにむけ,今日はキャンドルサービスのリハーサルがあります。暗い会場の中を,6年生がろうそくの灯りを持って整然と進む様子はとても綺麗で,「ともしび」が闇に放つ光のおごそかな雰囲気に感動するひと時ですね。
さて,実はすでに,このはじまりから,ページェントは聖書のメッセージをご来場のみなさんに伝えようとしています。今朝は,皆さんもよくご存じの,マタイによる福音の5章14節からの言葉を味わいましょう。
あなたがたは世の光である。山の上にある町は,隠れることはできない。また,灯をともした時,それをますの下に置く人はいない。燭台の上に置く。こうすれば,それは家の中のすべての人々のために輝く。このように,あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。そうすれば,人々はあなたがたのよい行いを見て,天におられるあなたがたの父をほめたたえるであろう。
ろうそくの一本一本がともす灯りは小さなものでも,百人近くが揃ってこれを行えば,闇を払う大きな力になります。ともしびを保つろうそくは,ヨゼフで学んだ多くのことを象徴しているのだと思います。これまでの6千人に上る先輩方がそうしてきたように,6年生の皆さんも,福音の語り手としての役割をしっかりと果たし,またひとつ卒業への階段をのぼりましょう。
ただし,くれぐれも火傷などしないように,火の扱いには気をつけてください。

2012年12月13日2012年12月13日の朝の祈り
今日はもう12月13日。クリスマスまであと10数日。今はまさに「待降節」です。
「待降節」は「待つ」時期です。「待つ」。皆さんが生まれるのを待っておられたお母さんは、誕生に向けて毎日準備をしてこられました。結婚前のカップルも、結婚式に向けて準備をしていきます。
私たちも、主の誕生を「漫然」と待つのではなく、何かささげものを、犠牲、プレゼントをしながら待ちませんか。
それは、人には言えないような小さなことでいいのです。何か決心しましょう。今日、下校するまでに決めましょう。「漫然」と過ごすのではなく。
「何かささげもの」「犠牲」「プレゼント」とは何でしょうか。『おやつを我慢して募金する』『家の掃除を進んでする』などなど、しかし、大切なことは「心をこめて捧げる」ことです。みなさんも、何かささげものを決めませんか。そうすれば、イエス様の誕生のお祝いが、より真実味を帯びてくると思います。
〔ルカ福音書 2章11節〕
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

2012年12月12日2012年12月12日の朝の祈り
昨日の合唱コンクール、お疲れ様でした。会場に響き渡る皆さんの美しい歌声が、私の心をたっぷり充電してくださいました。ありがとうございます。あの舞台に辿り着くまでに、それぞれが違う立場で、色んな苦労があったかと思います。その重ねてきた苦労や、目標や、互いへの思いやりが、クラスの土台を一段と強くしたのではないでしょうか。
合唱では、自分が歌いたいように歌うのではなく、周りの人の歌声をしっかり聞かなければいけませんでしたね。微妙な呼吸を合わせる必要もあったことでしょう。以前校長先生が「person(人間)の語源はラテン語のペルソナである」と教えてくださいました。ペルソナとは「響き合う」ということです。人間は、人とはもちろんのこと、自然や、何か目に見えない力とつながりを持ち、常に響き合って成長するものです。そのために、まずは心を開いて、周りにいる様々な人や物に関心を持ち、受け入れることが大切です。そして、「ただ一緒にいて楽しい」からもう一歩進んで、「互いに影響を与え合い、支え合い、励まし合いながら生きていく」そんな響き合う関係が築けると、大きなパワーがそこに生まれるのではないでしょうか。

2012年12月10日2012年12月10日の朝の祈り
世界中の人々の心に平和をもたらすイエス様のご降誕を待ち望む待降節も,第2週に入りました。今日からトロフィー・ケース前のAdventリースのキャンドルも2本火が灯されます。
今朝はこの「待つこと」について少し思い巡らせてみましょう。私たちの生活が電化されIT化されていく現代,毎日の生活の中で待つことが苦手な人が増えているように思います。生活環境が便利になればなる程,私たちの待つ能力はどんどん衰えているようにさえ思います。
エレベーターに乗ればすぐに「閉」のスイッチを押してしまいますし,マイクロウェーブ(電子レンジ)の前で待つ数秒も,「早く!早く!」と急き立てる想いがつのってしまいます。何をそんなに急いでいるのか,急き立てたその数秒を何に使おうとしているのかもわからないまま走っている自分がいませんか。
「待つ」能力は,人間としての成熟度のバロメーターであるとも言われています。とすると,待てない現代人は赤ちゃんのレベルまで戻ってしまったのかもしれません。赤ちゃんはお腹がすけば泣きますし,気分が悪いとむずかります。しかもすぐ対応してくれないと,一段と声を大にして訴えますね。周りの人の都合は一切おかまいなしです。待つことができなくて,赤ちゃん化している現代人が増えているのかもしれません。
「待つ」という行為には,信頼するあるいは相手を信じる心が必要です。ですから「待つ」ことは心をいただいている人間の,最も人間らしい姿勢なのです。信じている人との再会を待つ。春を待つ。辛くても希望を持って待つ。信じて待つことの積み重ねの内に,人は深みのある広い心を育んでいけるのです。
明日はセントヨゼフの歴史あるクリスマス合唱コンクールの日ですね。他校にも合唱コンクールはありますが,「クリスマス」がついているのは本校のみかもしれません。クラスで協力して,一生懸命練習してきた日頃の成果を力一杯発揮してください。とても楽しみにしています。その時イエス様を待つ心を忘れずに,人を信じ信頼する心がいただけますよう,世界の人々の心に平和がもたらされますよう,祈りを込めて歌ってみてください。皆さんのクリスマス合唱は祈りなのです。
今日の聖書のみ言葉はマタイ福音書からです。
―「見よ,おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は「神は我々と共におられる」という意味である。 (マタイ:1章23節)

2012年12月07日2012年12月7日の朝の祈り
今日は、二十四節気の一つ、「大雪」です。「大雪」が過ぎると、いよいよ本格的な冬の到来となります。今日は、シスター渡辺和子の著書『愛をつかむ』から詩を読みます。四国の詩人、坂村真民(さかむら しんみん)さんの『冬がきたら』です。
~引用部分のため省略~
このあとも詩は続き、冬こそは自分の「魂の壺」であり、「宝の壺」であると書かれています。
この詩に対してシスター渡辺は、
冬がきたら冬のことだけ思い、春がきたら春のことだけ思って生きたらいい、人生を豊かに生きるということは、結局そんなことなのかもしれないと結んでおられます。このような気持ちで、今日も一日心豊かに過ごせますように。

2012年12月06日2012年12月6日の朝の祈り
今朝もみなさんのきれいな歌声が教室から聞こえてきました。セントヨゼフの行事の中で、合唱コンクールは私の大好きな行事の一つです。というのも、合唱コンクールは、クリスマスを迎える心の準備として、聖歌を心穏やかに聞かせていただく時間ですし、何よりも、クラス全員が同じ場所に立って、一つの目標に向かい心と声を合わせることができる素晴らしい時間だからです。できることなら、私もクラスのメンバーの一員として一緒に歌いたいなあと、毎年思ってしまいます。毎日、毎日練習に励んで頑張っている姿を見ていますと、どうか本番ではベストの状態で歌えますようにと祈らずにはいられません。コンクールですから賞の行方ももちろん気になりますが、それ以上に、みなさんには、イエス様の誕生をお祝いする歌を心を込めて歌ってほしいなあと思います。そして、クラスの仲間と共に歌うことができる喜びを、ぜひステージの上で感じてきてください。今年も、みなさんから感動をいただけることを期待していますね。今朝は、お祈りとして、みなさんが普段練習している課題曲の、中学生は「天なる神には」、高校生は「こよいしも」の歌詞を目を閉じて心の中で味わってみましょう。本番まであともう少し、クラスの絆がますます強くなりますようにと願っています。

2012年12月05日2012年12月5日の朝の祈り
皆さんは「私は自分が大好きです」と胸を張って言えますか?
「私の長所はこれです」と人に示すことができますか?
いざ自問してみると頭を抱えてしまう人もいると思います。日本人は自分を肯定的にとらえることが苦手だとよく言われます。長所というと「人と比べて優れているところ」と連想する人が多いと思いますが、他人と比べるとどうしても「私なんて…」と考えてしまいます。長所は、周囲とのかかわり合いの中で発揮されるものです。歌が好きな人は、楽しい歌声で人を喜ばせることができるし、笑顔の素敵な人は、人の心を明るくすることができます。クラスの中にも、そこにいるだけで場が和む、というお友だちがいることでしょう。
神様は私たちに、ひとりひとり違う顔、違う性格、優れた能力をそれぞれに与えて下さいました。他の人とは比べようのない、自分の素晴らしさをありのままに認識して、自信を持って生きていきたいですね。
『あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものではなく、むしろ柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ神の御前に価値あるものです。〔新約聖書 ペトロの手紙 第1章3:3‐4〕』

2012年12月04日2012年12月4日の朝の祈り
学校の玄関に置かれたクリスマスツリーが、今年もきれいに飾られました。YMGの皆さん、ありがとうございました。
昨日、私は名古屋へ出かけました。あちこちで、ツリーを始めクリスマス・デコレーションがなされているのを見ました。人々は、クリスマスのためにケーキやプレゼントのことを考え、ショッピングを楽しみます。
しかし、クリスマスまでまだ20日もあります。今はイエス様のご誕生を待つ待降節であり、クリスマスをふさわしく迎える準備の時です。教会では、待降節はクリスマス前の4週間と定められており、それはイエス様がお生まれになるずっと前に、しいたげられ苦しんでいたイスラエル人が、救い主であるイエス様の到来を祈り待っていた時を象徴しています。
ルカ書の第1章に、救い主を待ち望む人々のことがたくさん書かれています。聖書の中の「待つ」という言葉は、遅れてくる電車を何もしないでただ待つ、というのとは違っています。子供を宿した母親が、生まれてくる子供を思い、ひたすら育むことに心をくだく生き方と似ています。待つために何をすればよいのでしょう。皆さんはヨゼフの生徒として、今こそ世の光、地の塩の生き方をして、イエス様のご誕生を待ちましょう。ツリーが廊下を明るくしてくれるように、皆さんは光となって、多くの人々に喜びと幸せをもたらしてください。

2012年12月03日2012年12月3日の朝の祈り
クリスマスキャロルの聞こえてくるシーズンとなりました。クリスマスといえば、私は17歳のクリスマスに洗礼を受けました。一人だったらなかなか受けられなかったのではないかと思いますが、周りには当時の皆さんの先輩たちが何人もいて、応援してくれたおかげだと、今も感謝しています。津の教会で行われた洗礼式にも、集まって祝ってくれました。歌ってくれたクリスマスキャロルは、私にとって子守歌です。
そのクリスマスが、もうすぐです。昨日からその準備である待降節が始まり、教会では黙想会がありました。ルカによる福音21章28節「身を起こして頭をあげなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ・・・」が朗読されました。
何から解放されたいか?
あきらめからの解放か?
失望からの解放か?
悲観的なことからの解放か?
あるいは物質的なものに執着しすぎることからの解放か?
福音的でないことからの解放か?
と、指導された神父様の問いかけが心に響きます。
解放の時が近い・・・。それを待つ待降節。
広く敬愛され、先日亡くなられたミラノの大司教マルティーニ枢機卿のお言葉とのことですが、「この苦しみの中に慰めがある、それに気づくのは神さまのめぐみによりできるようにしてくださいます」。
今日から、2時間目と3時間目の間の休み時間に「待降節輪の祈り」をします。参加しましょう。

2012年12月01日2012年12月1日の朝の祈り
おはようございます。
今日から12月,今年も残すところ1か月となりました。
定期試験も終わり,気持ちが少し楽になったところでしょうか。
でも,これからの時期はいろいろな誘惑があり,気持ちがゆるんで危険な時でもあります。
しっかりと気持ちを引き締めて,一年の最後を締めくくりましょう。
今朝は,主の祈りを唱えましょう。
天におられる私たちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。
