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  • 2013年02月23日2013年2月23日の朝の祈り

    1週間後に卒業式をひかえた6年生は,間もなく人生の節目を迎えます。学園生活の中で節目を迎える皆さんも,自己をしっかり見つめ,決意も新たにして自分の人生を創り出していかなければなりませんね。

    人生は良いことや楽しいことばかりではありません。むしろ,思い通りにならないことやつらいことの方が多いかもしれません。

    日常生活の中で何かと小さな決断、判断が繰り返され、その後「後悔」と「反省」が付いてまわります。しかし、いくら後悔と反省を繰り返しても,いっこうに自分が変わらないということに気づき,中には落ち込んだり、仕方がないとあきらめたりしてしまうこともあります。どうも後悔と反省だけでは、人はなかなか変われないようですね。

    誰でも失敗したことを悔やみ,反省します。でも本当に悔やむのは,失敗したときではなく,せっかくのチャンスをみすみす逃してしまったときや,「もう少しやっておけば…」「もう少し我慢していれば…」などと,何かをしなかった時ではないでしょうか。やってしまったことは「しかたがない」とあきらめもつきますが,しなかったことに対しては,いつまでも悔いが残りますね。

    今から試験前,最後の授業が始まります。「始業前の祈り」を一緒に唱えて,気持ちをひきしめましょう。

  • 2013年02月21日2013年2月21日の朝の祈り

    来週から、今年度最期の定期試験が始まります。今までの試験の反省をふまえて、この試験では自分が納得できる結果になるよう、最後まで精一杯頑張りましょう。

    さて、定期試験が終わると、いよいよ今年度も残り約1ヶ月になります。4月に入学した1年生も、もうすぐ先輩になろうとしています。3年生は高校生に、5年生はいよいよ最上級生になります。
    1つ先輩になるみなさんへ、私が伝えたいことは、「先輩として後輩の見本になって欲しい」ということです。勉強面ではもちろんですが、日常生活でも見本になって下さい。「見本になる」というと責任を感じたり、難しいことを言われているように感じるかもしれませんが、今までの行動に少し意識をするだけで見本になることが出来ます。

    1つは、何ごとにも積極的に、自ら動き、そして一生懸命やること。
    特に意識して不得意なことや苦手なことを積極的に取り組んでほしいと思います。そうすることで、最初は失敗が続くことがあるかもしれないけれど、その頑張りが少しずつ自分のものになるはずです。
    もう1つは、当たり前のことを意識せずに出来るということです。
    心を込めた行いが自然にできるようになると、周りの人の気持ちを変えることができると思います。

    相手のことをが気遣うことができ、そして何ごとにも一生懸命できる先輩になり、「あんな先輩のようになりたい」と思わせるような後輩たちの見本になってくださいね。

  • 2013年02月20日2013年2月20日の朝の祈り

    今日は、“悩み”についての話をしたいと思います。みなさんはいま、どの様な“悩み”を抱えていますか?「この“悩み”さえ無ければ、自分はもっと幸せになれる筈なのに。」と、考え込んでしまうときはありませんか。どんなに、前向きな考えを心がけても、ついつい心が否定的なことを考えてしまうときがありますよね。

    かつて、「人間の悩みは決して無くなることはない。」と説いた人がいます。その方は、お釈迦様です。彼は大天才であり、心も最高の人であったと言われています。遥か昔、彼が、自らの心の中にある“悩み”を無くそうとして、滝に打たれたり、食事を断ったりという難行・苦行を、死の寸前まで繰り返しました。その結果、お釈迦様が残した言葉は…………

    「無駄である。」というものでした。この事から明らかになることは、どんなに優れた人物の心の中にも“悩み”が存在しているということです。

    しかし、思い浮かべてみると、お釈迦様を含め、仏様たちの顔は皆穏やかな表情をしていますね。皆さんが、学校で目にするマリア様のお顔も同様です。

    マザー・テレサの言葉より
    「貧しい人たちに、命だってあげることはできます。しかし、微笑を浮かべてそれをしなければ、何も与えたことにはなりません。平和は微笑から始まります。一日5回、あなたが本当は笑顔を見せたくない人に微笑みなさい。それを平和のためにするのです。」

    皆さんの、尊敬する人や大好きな人はいつも、どんな表情をしていますか。きっと、傍にいるだけで幸せになれるような、前向きな顔をしているはずです。どんな“悩み”があったとしても、決してそれを表に出さない“覚悟”が、沢山の人たちを幸せにする奇跡を起すことでしょう。

    “微笑み”というものは“悩み”に負けないという勝利の証かもしれませんね。

  • 2013年02月18日2012年2月18日の朝の祈り

     2月も半ば過ぎになってきました。2013年として見ますとまだ2か月目なのですが,皆さんのように生徒としての立場からは,学年の終わりに近づき,いろいろなことが一つの節目を迎える大切な時となっています。
     市田ひろみ先生のご講演から始まり,先日16日の浅野先生と平野先生のパネル・ディスカッションで今年度の終止符を打った「女性学講座」も一つの節目を迎えました。
     他校にはないセントヨゼフならではの「見えない学力」(学ぶ力)としてスタートしました「女性学」でしたが,年間4回のお話しをいただきましたね。"Self-Produce"と題して,自分自身を産み出していくいろいろなin-putをたくさんいただきました。そんな中には「思いやりの心を育てるための5つのお約束ごと」もありましたね。覚えていますか。そしてその中のいくつかを毎日Tryしているでしょうか。お聞きして,頭でわかっただけでは,まだあなたのものになっていません。授業中,机の上で学び,数値で示す成績で評価する「見える学力」と異なって「見えない学力」の女性学は,数値で示す評価も偏差値もありません。そこで余り大切ではないという誤解をする人がいますが,それはとても残念なことなのです。きっと人生のもっと遅い段階で気づくことになるのでしょうが,その時は少々遅すぎるかもしれません。
     毎月の集会や年間4回の女性学は,「見えない学力」として「見える学力」と同じ位,大切な時間なのです。それはあなたが一人の人間としてそして一人の女性として成長していく時の生涯の礎・土台となるからです。生き方や存在そのものに問いかけます。ですから成長に欠かせない大切な栄養素なのです。定期テストが終わりましたら一度,メモをしたノートや振り返り用紙に記した自分の感想をもとにこの一年,何を学び何に気づいたのか自分で確認しておきましょう。見直しのプロセスを踏むか踏まないかで,あなたの生き方は変わってくるほどこのプロセスは重要です。
     さて,もう一方の「見える学力」で自分が今どこに立っているのかを評価する定期試験も一週間後にスタートします。もう一つの大切な節目として全力を尽くしてください。

    今日の聖書からのイエス様のメッセージは・・・
     ―わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる― (マタイ28章20節)

  • 2013年02月15日2013年2月15日の朝の祈り

    今日は,ルカによる福音の一節から朗読します。

    欲しいものがあるならば,求めよ。
    あきらめることなく求め続けよ。
    そうすれば与えられる。
    見つからないならば探せ。徹底的に探し続けよ。
    そうすれば発見できる。
    閉まっているならば,叩け。戸を叩き続けよ。
    そうすれば,やがては開かれる。
    このように,探す人が見い出し,叩く人だけに戸は開かれる。
    求める人だけに与えられる。

    聖書のこの箇所は,朝の祈りで幾人かの先生が紹介されたので,覚えている人も多いと思いますが,私も今年度の初め,4月の朝の祈りで朗読させていただきました。年度末を迎えようとしている今,もう一度,聖書のこの言葉に耳を傾け,今年どんな行動ができたか振り返ってみて欲しいと思います。

    求め続け,探し続け,今なお叩き続けている1997年生まれの15歳の少女がいます。名前は,マララ・ユスフザイさん。「女性に教育を」と訴え,昨年10月に武装集団に銃撃された彼女は,先日イギリスでの再手術を終え,肉声のコメントを出すまでに回復したそうです。生死の境をさまよいながらも,なお「神に授かった命は,人助けに捧げたい」と気丈に語る姿に,同年代の皆さんの中にも感銘を受けた人がいたのではないでしょうか。同時に,教育を受ける権利が保障され,安心して勉強ができる私たちの恵まれた境遇に否応なしに気づかされます。女性差別が残る国では,目覚めた少女たちが命をかけて立ち上がっています。人は誰しも役割を与えられています。私たちも,なすべきことは何かよく考えて行動する力をつけていきたいものです。

  • 2013年02月14日2013年2月14日の朝の祈り

    聖書に「善いサマリア人」(ルカ10章)という、有名なお話があります。
     
    ある人が強盗に襲われ、血まみれになって倒れているときに、祭司もレビ人もその人を見ても向こう側を通って行きますが、一人のサマリア人は「その人を憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。」と書かれています。

    この箇所に出てくる「憐れに思い」という言葉は、聖書にはたびたび出てくる重要な言葉です。もともと、『新約聖書』はギリシャ語で書かれていました。日本語に訳された「憐れに思い」は、「かわいそうに思い」といった言葉だろうと、みなさんは感じるかもしれませんが、実は、ギリシャ語では「スプランクニゾマイ」という語で、「お腹の腸を焼く」という意味があります。つまり、はらわたが痛むくらいに、相手の気持ちに共感することをさします。

    これが、イエス様の苦しむ人への共感でした。それだけにとどまりません。「善きサマリア人」のお話しは「行って、あなたも同じようにしなさい。」と結ばれています。ただ共感するだけじゃない。共感した人は、行動に移していけるのだ、ということを聖書は教えてくれています。

    昨日は、カトリック教会の暦では、「灰の水曜日」と言われています。この「灰の水曜日」から40日間を四旬節とよび、復活祭前の準備期間にはいります。このミサでは、神父様が灰で額に十字架の印をしてくださいます。そこからこの名前がついています。聖書では、「灰」は悲しみや悔い改め、死を意味します。私達は、悲しみや死というと、約2年前の「東日本大震災」でお亡くなりになられた方々や被災された方々を思い出します。

    地震、津波、原発で悲しみと不安をかかえ、苦しんでいる方々に寄り添い、はらわたが痛むほどに共感し、何かの行動につなげられたら、・・・・・・・。と願っています。

  • 2013年02月13日2013年2月13日の朝の祈り

    皆さんは、日野原重明さんという方を知っていますか。テレビや新聞、あるいは図書室にある本などで知っている人がたくさんいると思います。 日野原さんは、現在101歳、1911年(明治44年)生まれの現役のお医者さんです。東京の聖路加国際病院で理事長を務められています。私は一昨年、日野原さんの講演を聞く機会がありました。ちょうど100歳の記念講演でした。その時の講演で今でも心に残っているのが、「夢をもつ」という言葉です。日野原さんの夢は、遅れている日本の医学教育を変えるために学校を作ることだそうです。その夢を達成するためには、あと10年かかるそうです。ですから、110歳まで何とか自分の体を健康に保ち、元気でいたいという目標を持っていらっしゃいます。年齢を重ねると大きな夢は持てなくなりますが、もうこの年だから何も出来ない、と考えるのではなく、101歳になってもなお新しいことにチャレンジすることに、頭が下がる思いです。

    生徒の皆さんも夢があると思います。まずは小さな夢を一つずつ、こつこつとかなえて、大きな夢につなげていってほしいと思います。私も夢に向かって少しずつ今、努力している途中です。

    夢。
    夢があれば目標が出来る。
    目標があれば行動が出来る。
    行動すれば成長が出来る。
    成長すれば人々を幸せに出来る。

  • 2013年02月08日2013年2月8日の朝の祈り

    先週の朝の祈りで、「当たり前の何気ない行動が、実は美しく尊いことだ」というお話を聞きました。このお話を聞きながら、私もある出来事を思い出していました。

    ある方々と食事をする機会があったのですが、その中のおひとりの方が何も注文されなかったので、不思議に思い質問したところ、「家族がパンを用意してくれたのでいい」というお返事でした。文字にしてみると、たったこれだけのことなのですが、その時の雰囲気が用意してくださった方への思いやりに溢れていたので、それがこちらにも伝わり、今思い出してもとてもあたたかな気持ちになります。

    「愛といつくしみのあるところに神はおられる」という聖書の言葉を聞いたことがあります。なかなか実感しにくいですが、このように、日常の小さな出来事を大切にすることで、実は、そのことをよしとされる大いなるものの存在・エネルギーのようなものを感じられるようになり、感謝できるようになっていけたらいいなと思っています。

  • 2013年02月04日2013年2月4日の朝の祈り

     昨日は節分。そして今日は立春と,季節の大切な節目を迎えています。しかし最近は,日本の大切な年中行事も少し色褪せて形骸化してきています。そこで,少し情報を集めてみました。
     「節分」とは,読んで字のごとく季節の分かれ目です。立春,立夏,立秋,立冬の前日をすべて節分といって,年に4回あったのです。最近は立春の前日だけを指すようになっています。「立春」は,太陽の動きを正確に観測し,1年を24に分けて季節の移り変わりを表したものの一つです。春分,秋分,夏至,冬至は今でも耳にしますね。
     節分の豆まきは中国から伝わった風習で,「厄払い」や「魔除け」の意味があり,鰯の頭を柊の小枝にさして戸口に挿す風習もあるようです。季節の変わり目は何かと体調の変化があったのかもしれませんね。ではなぜ,豆は炒ったものを使うのでしょうか?考えたことがありますか?投げた豆は,全部拾って食べるものらしいですが,生の豆を拾い忘れて芽が出ると困るということだそうです。"Empty Pot"のPing少年のお話を思い出してしまいますね。
     日本の伝統的行事ですのに,そのいわれや意味を知らないでいるのは少々恥ずかしいことですし,伝統文化が消えていくのは残念な気がします。それにしても,昔の人々がどれほど大自然の移り変わりに敏感であり,四季それぞれとともに生活していたかが垣間見られ,羨ましくさえ思いました。暦の上では春ですが,本当の春はもう少し先のようですね。私たちも校庭の桜たちの日々の変化に心を向け,春の訪れを「待つ心」を育んでいきましょう。
     今日の聖書のみことばは,マタイの6章26節からです。
    ―空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず,刈り入れもせず,倉に納めもしない。だがあなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。

  • 2013年02月02日2013年2月2日の朝の祈り

    今朝は、先週帰国したシンガポールからの留学生Ang Min Hanさんのことについて少し紹介したいと思います。彼女は昨年12月から約2ヶ月間という短い時間の短期留学でしたが、その間陸上部に入部し、意欲的に練習に参加してくれました。

    初めて体験するような練習ばかりだったと思いますが、明るい性格で、何に対しても、とにかく一生懸命やってみようという姿勢に、好感が持てました。

    彼女は、決して速く走れたり、フォームが素晴らしいというわけではありません。しかし、短期間だからこそ、いろいろな技術を積極的に、楽しみながら得ようとする態度が本当に気持ちの良い生徒でした。私自身も彼女から教えられたことがたくさんあり、感謝の気持ちでいっぱいです。

    今、私の机の上には彼女からの手作り航空チケット「ミンミンエアライン」のビジネスクラスシート「津発名古屋経由シンガポール行き」が飾られています。

    彼女にとって、セントヨゼフで学んだことや日本での生活が、これからのシンガポールでの生活に役立つことを心から願っています。

    最後にローマ人への手紙第12章を紹介します。

    訪ねてきた人、旅人には親切に愛を持って迎えなさい。
    喜ぶ人と共に喜び、泣く人と一緒に泣きなさい。
    ゆめゆめ高ぶらないように。
    そして、自分を知恵あるものだとも思わないように。

  • 2013年02月01日2013年2月1日の朝の祈り

    私が好きなアスリートに、Jリーガーの「キング・カズ」こと三浦知良選手がいます。三浦選手は、皆さんも知っていると思いますが、現在、年齢45歳で日本人の最年長プロサッカー選手です。まさに、皆さんのお父さんと同じぐらいの年齢だと思います。お父さんがJリーガーです。よく考えて下さい。普通は無理です。40歳を過ぎ、持久力と瞬発力が要求されるプロサッカーの世界で、ピッチに立ち続けていることは驚異的なことです。そのため、三浦選手は毎日が戦いで、挑戦だそうです。練習への取り組みもすごく、朝一番にグラウンドに行き、親子ほどの年齢差があっても、同じメニューをこなします。ランニングでは常にタイムにこだわり、先頭に立って走るそうです。また、体調管理は徹底しており、1日に何度も体重を量り、食事は個人で栄養士さんを雇い、練習後は、トレーナーに2時間マッサージをしてもらい、早いときは7時に寝るそうです。これは、すべてサッカーを1日でも長く続けるために行っています。今では、普通にJリーグと言うプロサッカーがありますが三浦選手が学生だった頃は、日本にはプロサッカーチームはありませんでした。 そのため、15歳でブラジルに一人で渡り、小さな体で努力し続け、プロ選手になりました。Jリーグでは、年間最優秀選手賞などを受賞し、日本代表選手としても活躍され数々の栄光も手に入れられました。しかし、31歳の時に、日本代表メンバーから落選し、子どもの頃からの夢であった、フランスでのワールドカップに出場することができませんでした。また、所属していたチームからも戦力外通告を受け、その後も、他のチームに移籍をくり返し、怪我やレギュラー落ちをし挫折を繰り返します。普通の人なら、ここで引退です。でも「サッカーが好き」「もっと上手くなりたい」喜び、悲しみ、悔しさ、社会と言うすべてをサッカーが教えてくれたという思いで、現在でも、横浜FCというチームでプレイをされています。本当に、三浦選手のあきらめずに挑戦し続ける姿に勇気をもらいます。
     
    【コリント人への第1の手紙 9章24節】
    「あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、
    賞を得る者は、ひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい」

    確かに、競技スポーツは、勝ち負けがあり、「優勝する」「金メダルを取る」など良い成績を残すことが目的でもあります。しかし、人生は、何を賞とするのか? 何を目標として生きるのか?三浦選手は、ワールドカップ出場という賞を得ることはできませんでしたが、自分の大好きなサッカーを続けるために、毎日、ベストを尽くし、走り続ける生き方は本当にかっこいいです。皆さんも、今だけの結果に落ち込んだり、浮かれたりせず、人生の賞を得るように走っていって下さい。