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  • 2016年10月31日2016年10月31日の朝の祈り

     10日程前のことになりますが,今日は10月22日にお祝いしました「カロンデレットの聖ヨゼフ修道会 来日60周年記念」について皆さんと分かち合いたいと思います。

     セントヨゼフ女子学園の創立60周年は3年後の2019年ですから,そのちょうど3年前に最初の4人のシスター方が2週間にも及ぶ船旅の末,1956年8月14日に横浜港に到着されました。その後,学校建設のための土地探し,学校法人設立のためのとても煩雑な手続き,そして何よりもシスター方は京都で日本語学校に通い始め,日本語という大きな壁にチャレンジしていかれたのです。

     現在のセントヨゼフの敷地は,何と30人近い方々の所有地で,田んぼだったようです。それぞれのご意見も食い違い,「手放したくない!」という方も何人かおられ,交渉は難航していました。ほとんどあきらめ,四日市方面を探さなければと話していた矢先,不思議なことに3月19日,聖ヨゼフの日の朝,地域の会長様が来られ「全員一致いたしました」と告げられたのです。

     来る日も来る日も,水平線しか見えない2週間を荒波に揺られながら,4人のシスター方はどんなことを感じ,何を祈っておられたのでしょうね。

     そして遂に1959年4月,第一期生が誕生することになります!

     今回の記念行事は,イエス様の想い「皆が一つになるように!」を大切にした集いで,お招きした方々は,現在皆さんを育てていてくださる現職の職員の方々,創立以来の旧職員の方々,それに卒業生も含む約150名の皆さんが時代を超えて脈々と流れているセントヨゼフの伝統と精神をもう一度ゆっくり味わうひとときをいただきました。

     旧職員の中には岡山の倉敷から駆けつけてくださった方があり,また東京から来てくださった卒業生もいて,時と場を超えて結ばれている「ヨゼフの仲間」としての不思議な一体感を味わった一日でした。もちろんメインは感謝のミサで,在校生の皆さんのようにしっかり聖歌を歌いました。” Joseph Our Certain Hope “はやはり閉祭の歌でした。

     今回のハイライトの一つは,最初の4人のシスター方に続き,翌年来日されたSister Kathleen StackがSt. Louisから来てくださったことです。最初の4人のシスター方は今みな天国にいますので,残っている自分が参加しなければと強く感じられたそうです。ところがこのシスターは,飛行機が大嫌い人間で,アメリカ国内でも移動はいつも車で,飛行機には決して乗らない方ですのに,St. Louisから日本までの14時間,よくがんばられたと感心してしまいます。「他の方をお喜ばせしたい!」というモチベーションは,私たちの想像を絶するような力を湧き起こします。不思議な力です。因みにSister Kathleenは現在90才になられました。明るくてその笑い声は周りの人々の心にポッと灯りをともしてくださいます。

     一期生の方々は,翌日もシスターを訪問され,懐かしい楽しい時を過ごされました。60年間のいろいろな分かち合いに花が咲き,楽しそうな笑い声が絶えない数時間でしたが,ふと静かになられたのでどうなさったかと思っておりましたら,カロンデレット館の教室に移動され,校歌をはじめいろいろな聖歌を次々と皆で合唱されていました。卒業以来という方もおられましたが,ヨゼフはそういういつでも” Home Coming “ができる場であり続けたいと願っています。

     私たちも3年後の60周年に向けて,ヨゼフのメンバーであることに誇りをもって歩んでまいりましょう!

  • 2016年10月27日2016年10月27日の朝の祈り

    今年の7月に2015年の日本人の平均寿命が発表されました。何歳か知っていますか?男性は80.79歳,女性が87.05歳で,日本人の平均寿命は83.7歳になり,世界で一番の長寿国です。

    では世界で最も寿命が短い国はどこだと思いますか?ウォーカソンで支援をしているシエラレオネで平均寿命は50.1歳です。時代をさかのぼりますが,縄文時代の平均寿命を調べるとなんと14歳だったそうです。人類は縄文時代に比べて本当に長生きするようになったのですね。

    ところで,今は人生80年から90年ということですが,みなさんは人生時計という言葉を聞いたことがありますか?自分が今その長い人生においてどのあたりにいるのかを,24時間に置き換えて考えてみるというのが,人生時計の考え方です。80年くらいの人生を1日と考えるので,3.3333年が1時間ということになるのですが,計算を簡単にするため,人生の3年を人生時計の1時間と考えることにします。夜中の0時に誕生したとして,朝の6時が18歳です。6年生は18歳なのでそろそろ起きる時間だと考えます。中学生はまだ早朝の4時から5時ですね。

    では,みなさんが充実した1日にするためには何が大切だと思いますか?まずはしっかりと睡眠をとることがとても重要です。もしきちんと眠ることができなければ,その日1日ボーッとして頭が冴えないからです。そして次に朝起きて家を出るまでに何をするかも重要です。朝ごはんをしっかり食べたり,身なりをきちんと整えたり,朝ごはんを食べながら家族とコミュニケーションをとったりするのですが,人生時計だと18歳から24歳くらいで,この時期は社会に出るまでの準備期間みたいなものです。朝ごはんを食べて栄養をつける代わりに,勉強をしたり,身なりを整える代わりに礼儀や作法,社会人としての常識などを身につけるときと考えます。

    社会人になると朝8時くらいから夕方6時くらいまでは通勤や仕事をする時間。人生時計では24歳から55歳くらいになります。そして仕事を終えて帰宅し,おいしい夕飯を食べてお風呂に入りリラックスした時間を過ごすのが60歳から75歳ということになるわけです。

    みなさんが今セントヨゼフで過ごしている12歳から18歳は人生時計の朝4時から6時。まだ太陽も出ていなくてどんな1日になるかわかりませんね。でも,充実した1日つまり充実した人生にするための準備をする大事な時間なのです。
    今日も学べることに感謝し,主の祈りを唱えましょう。

  • 2016年10月25日2016年10月25日の朝の祈り

    Last week I went with the 3rd grade students on a study trip to Awaji, Kobe and Kyoto.
    I’m sure that everyone made many precious memories on the trip. One of the best memories I made was in Kyoto on Thursday when we visited ‘Kawamura Noh Butai’. The owner, a lady called Junko Kawamura, told us about the 650-year history of Noh theatre. She showed us masks and costumes worn by Noh performers, and some of our students had the chance to wear costumes and practice moving in the same way as the actors. To be honest, before listening to Kawamura-san, my image of Noh was that it is very old and very difficult to understand.
    However, Kawamura-san made Noh sound really interesting and I hope that at least some of you want to study more about it from now on. During the lecture, we all practiced reading a small passage from a Noh play. It was quite difficult and maybe everyone was a little nervous, so no one spoke in a loud voice. Kawamura-san was not happy with us. She told us that opening our mouths widely and speaking clearly is necessary not just when performing Noh but also in our daily lives.
    I always say this to students who are practicing for speech contests, too. The words we say are important, but the way in which we say them can make a big difference in the way they are understood. A simple example - would you be happier to meet someone who says, “It’s nice to meet you,” (flat intonation, low pitch) or someone who says, “It’s nice to meet you,” (varied intonation, higher pitch)? Maybe the first person is just shy, but it doesn’t make a very good impression, does it? Let’s try to make sure that the way we speak gives the people around us a positive impression.

    I’m going to finish with the Lord’s Prayer in English. Please close your eyes.

    Our Father who art in heaven,
    Hallowed be thy name.
    Thy kingdom come, thy will be done,
    On earth as it is in heaven.
    Give us this day our daily bread
    And forgive us our trespasses
    As we forgive those who trespass against us.
    And lead us not into temptation,
    But deliver us from evil,
    For thine is the kingdom, the power and the glory,
    For ever and ever,
    Amen

  • 2016年10月21日2016年10月21日の朝の祈り

    おはようございます。今朝は、最近気になっている話題から始めたいと思います。
    ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞しました。彼はアメリカの偉大なシンガーソングライターですが、果たしてディランはノーベル賞を受けるのでしょうか。アルフレッド・ノーベルはダイナマイトの開発や、兵器工場などで巨額の富を得た人です。それに対して、ディランは反戦・反体制のプロテストソングを歌って人気を不動のものとした人です。是非、この機会に彼の代表作「風に吹かれて」の歌詞を味わってみてほしいと思います。

    彼がノーベル文学賞を受賞したことによって歌詞は詩なのか、という議論も起こりました。ノーベル賞・選考委員会は受賞の理由として、「アメリカの輝かしい楽曲の伝統の中で新しい詩的表現を生み出してきたこと」をあげ、さらに「ディランの音楽は耳で楽しむもの、(古代ギリシャの)ホメ―ロスやサッフォーの時代から詩はもともと楽器と共に聞かれるもの」で「ディランは口語で表現する偉大なる詩人」だと賞賛しました。確かに、古代、詩とは声に出して語り伝えられるものであり、詩が書くものに転じたのは、17世紀のグーテンベルグ以降のことです。歌詞というものの評価の可能性を広げたことが、今回の受賞に繋がったわけです。「時代は変わるのです」。そのことを日本の松尾芭蕉は「不易流行」という言葉で言い表しました。常に、新しいもの求めて絶えず流行は変化していく、しかし、その本質は変わりません。流行はその系譜において繰り返していきます。遠いご先祖さまから、受け継いできた伝統や文化があるということは、とても素晴らしいことだと思います。

    さて、私たちのセントヨゼフ女子学園も素晴らしい伝統を多く持っています。いつもシスター斎藤が語ってくれますが、ヨゼフの発祥は今を去ること366年前です。フランスのルプイで発足した聖ヨゼフ修道会のシスターたちが、そこからアメリカのセントルイスに移り、さらにそこから4人のシスターたちが船に乗って日本にやってきました。それは1956年8月14日のことであり、今年はその年から数えて60年になるのです。ヨゼフの脈々と途絶えることなく今に受け継がれている伝統は、毎日を忙しく過ごすみなさんの中に息づいています。自分のことよりも人のことを考え、少ない自分の時間をやりくりし、人のために働く、その精神は紛れもなく366年前のシスター方のものだと思います。
    明日、生徒のみなさんはお休みですが、その節目の年を祝い感謝するために、御ミサが行われます。
    私たちも一緒にその喜びを分かち合うために、みんなで主の祈りを唱えましょう。

     天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。 
    み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 
    わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。 わたしたちの罪をお許しください。わたしたちも人を許します。 わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
     アーメン。

  • 2016年10月13日2016年10月13日の朝の祈り

    先日、私は自分が中学生だったころのテニス部の仲間と試合に出場してきました。
    結果は負けてしまいましたが、今日話したいのは試合の内容ではありません。

    その日は出場した4人の友人と1日の労をねぎらいながら、晩御飯を食べたのですが、まさか自分たちが中学校を卒業して10年経ってから、まだテニスを続けていて、その上「中学生の頃のように試合に出るとは思わなかったな〜」「当時は1日練習とか本当にしんどかったけど、今から思うと楽しかったよな〜」という話に花を咲かせました。

    なぜ、このようにテニスの試合に出て、このような話をすることができたのか?
    それは、本気で部活動に取り組んでいたからだと思います。漫画の「テニスの王子様」にあこがれて貪欲に練習をしていたからだと思います。中途半端にテニスをしていたのでは、今も続けていられたと思いませんし、きっと過去を懐かしむこともなかったと思います。
    みなさんは、これまで、本気で何かに取り組んだことはありますか?それは部活動だけではありません。勉強や習い事、趣味もそうです。本気で取り組んでいると、楽しいことばかりではなく、辛いことやしんどいこともたくさんあって、「なんで今こんなことしているんだろう」と思うこともあり、価値をすぐに見いだすことは難しいこともあります。しかし、いつかそれがわかる時、報われる時が来るのだと私は信じています。逆に言うと、辛い、しんどいことがない物事なんてやりがいがないですし、結果的に楽しいとも、やっていてよかったとも思わないのではないでしょうか。

    今何かを本気で取り組んでいる人はそれをこれからもそれを継続し、まだ見つけられていない人は夢中になれる何かを見つけられることを願い、主の祈りを唱えましょう。

    天におられるわたしたちの父よ、
    み名が聖とされますように。
    み国が来ますように。
    みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
    わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。
    わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
    わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
    アーメン

  • 2016年10月07日2016年10月7日の朝の祈り

     私たちの学校の建学の精神は「愛と奉仕の精神」です。今日はこの「愛と奉仕の精神」についてお話しします。
     キリスト教の教えを要約しますと、「愛と奉仕の精神」になると私は考えます。

     『新約聖書』のルカによる福音書10章25節から37節に「よきサマリア人のたとえ」という有名なお話が書かれています。昨日、朝の祈りでこの聖書の箇所からお話しして下さったものです。
     エリコに向かう寂しい道で強盗に襲われ、大けがをした人が倒れています。神殿の務めを終えて、帰宅途中の祭司とレビ人が通りかかり、その人を見て気がつきますが、彼らは、道の向う側を通って行ってしまいます。しかし、ユダヤ人とは関係のよくないサマリア人が、彼を見て、憐れに思い、近より、手厚く介抱を始めます。

     このお話しの中に出てくる「憐れに思う」という語は、ギリシャ語で<スプランクニゾマイ> という言葉で、はらわたが震えるような深い憐れみを表します。『新約聖書』に12回用例があり、みなさんがよく知っている「放蕩息子のたとえ話し」で、父親が放蕩息子を迎えるときにも同じギリシャ語が使われています。
    これらのたとえ話から言えることは、サマリア人や放蕩息子の父親がキリスト教のすばらしい模範として描かれています。

     助けを必要としている人を見て、知って、その人の心におもいを寄せ、行動にうつす、
    このことをかいつまんで表現するとするならば、「愛と奉仕の精神」といえるのではないかと思います。つまり、私たちの学校の建学の精神となります。

    「よきサマリア人のたとえ」の傷ついた人を助けるための行動へとかりたてたのは、いてもたってもいられないほどに心を動かされる気持ちが、行動につながったと思います。
    キリスト教学校は、一人一人を大切に育て、心の教育をする場所です。その心の教育とは、「よきサマリア人のたとえ」にあるように、悲しんでいる人、苦しんでいる人、困っている人、心傷ついている人の隣人になることです。
     自分の心をどれぐらいその人に近づけていくかがみなさんに問われています。そのためにも、自分の心を研ぎ澄まし、ありのままの自分を好きになりましょう。自分を愛する心が、隣人をも愛する心になるのです。自分の弱さや足りなさを体験し、受け入れることこそが、隣人を「憐れに思い近寄る」行動の原動力になるのです。学校の建学の精神「愛と奉仕の精神」はキリスト教の生き方そのものなのです。

  • 2016年10月06日2016年10月6日の朝の祈り

     今朝は、先日エリック神父様がして下さったプレゼンテーションの中にあった、「隣人」 prossimo という言葉から、次の聖書の一節を味わってみることにします。

     「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下ってきたが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやってきたが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人はそばに来るとその人を見て憐れに思い、近寄って傷に油と葡萄酒を注ぎ、包帯をして自分のロバにのせ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、銀貨を2枚取り出し宿屋の主人に渡して言った。「この人を介抱して下さい。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になった思うか。」とイエスは聞かれた。「その人を助けた人です。」律法の専門家は答えた。
     そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
     
                         ルカによる福音書第10章30~37節

     私達の愛は、毎年確実にセントハンニバルの子供達のもとへ届けられ、私達の大きな喜びとなっています。今年も15日に行われるウォーカソンに、一人でも多く参加して、隣人への愛の行いを共に表しましょう。

  • 2016年10月04日2016年10月4日の朝の祈り

    Like most of you, I enjoy watching TV, and I probably watch too much. One Japanese program that I enjoy watching with my family is 「世界の果てまで行ってQ。」There are some very funny, and some very silly, things on 行ってQ. There are also some very interesting events. In last week’s program, one of the show’s stars, Imoto, tried to climb a mountain in Switzerland called the Eiger. The Eiger is about 4,000 meters high and very dangerous. Near the top there is a narrow path covered in snow and ice called the ‘Kniferidge’. On one side of the Kniferidge is a 600 meter drop, on the other is a 2000 meter drop. There is also a huge rock called the ‘Gendarme’, which is really difficult to climb. Imoto, who is an actress in Japan, started well, but then slipped and got stuck on the Gendarme. She couldn’t move and started to cry. The other climbers could talk to her, but they couldn’t climb down to help her. She is an actress, but she was not acting. She was really scared. Suddenly a small piece of ice from another climber’s boots hit her helmet. Amazingly, Imoto changed from being very scared to very angry. She forgot her fear and started to climb again, and soon she reached the top of the mountain. She said later that the most difficult thing was not climbing the mountain, but to fight against her fear of falling, or failing. Don’t you sometimes think that you can’t do something? I think we all do, but isn’t it also a terrible waste to give up without even trying? We don’t have to climb a mountain, but we can all set ourselves challenges about things that we fear, things we think we can’t do. We humans are amazing creatures and can achieve so much with effort.

    I’m going to finish with the Lord’s Prayer in English.

    Please close your eyes.
    Our Father who art in heaven,
    Hallowed be thy name.
    Thy kingdom come, thy will be done,
    On earth as it is in heaven.
    Give us this day our daily bread
    And forgive us our trespasses
    As we forgive those who trespass against us.
    And lead us not into temptation,
    But deliver us from evil,
    For thine is the kingdom, the power and the glory,
    For ever and ever,
    Amen