2018年2月8日の朝の祈り

朝の祈り

今朝は、2月3日に全世界で記念される福者、高山右近殉教者についてのお話しをします。昨年2月7日にユスト高山右近列福式ミサがあり、教皇フランシスコにより、高山右近は聖人の前の福者の段階にあげられました。
ヨハネ福音書 12 章に「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」というイエスのことばは、まさに高山右近の中で実現しています。
高山右近は織田信長、豊臣秀吉に仕えた戦国大名でした。財産もたくさん持っていたにも関わらず、キリスト教宣教師を保護し、その活動を助けました。右近は、キリストの教えを広めることを望み、日本人の宣教師を育てるため、安土、高槻、大阪にセミナリオ(神父様を育てる神学校)を建てました。領内のキリスト者は多くなり、1583 年には3万人の領民のうち2万5千人に達し、人口の大半を占めるほどだったといわれます。また領地が明石に変わったとき、福音宣教活動を広げ、1585 年から 1587 年までに、千人以上が洗礼を受けたといわれています。このことから、右近がどれほど周りの人々に影響を与えたかがよくわかります。
高山右近はイエス・キリストの愛のことば、いつくしみの心にひかれていました。彼は、その確信により、日本の福音宣教に対する不屈の推進者になりました。ほまれ高く誠実な人として成長した右近は、真のキリストの武士でした。刀ではなく、ことばとわざによる武士でした。
それをよく表すこととして、右近は、家来たちととともにいつくしみを示し、貧しい人びとを助け、困り果てた武士たちを援助するためにミゼリコルディアの組をつくりました。病人を見舞い、寛大に施しをしました。また、父ダリオとともに、家族のない死者の柩を担ぎ、墓に葬りました。それらすべては人びとを驚かせ、それにならいたいとの望みを呼び起こしたのです。
これほどイエス・キリストへの信頼は、右近の心にしっかりと根を下ろしていたのです。右近はその特権的な地位を失い、生活の貧しさが増し、打ち捨てられ、隠れた境遇になっても気落ちするどころか、信仰により平静を保つことができました。
徳川家康が発令した「キリシタン禁教令」により国外追放となり、フィリピンのマニラに行きました。神さまが自分に望んでおられるのは血を流す殉教ではなく、「追放の苦しみによる殉教」 だったことを予感していました。殉教は十字架刑にかけられることだけでなく、流罪にあって、その地でいのちを終えた人も殉教者であると説明しています。
高山右近の生き方は、現代における私たちに何を教えてくれているのでしょうか。
右近は、人間の価値は才能や知識、能率、効率、業績によるのではなく、無条件に神から愛されていることをイエス・キリストが伝えた福音から学び取っていたのです。
それでは、右近のとりつぎを願って「主の祈り」を唱えましょう。